2021年3月28日日曜日

 父の気持ち👪

今日は2021年3月20日。

結婚してもうすぐ1年。歩未ちゃんが産まれてもうすぐ1ヶ月。

どうやら心友助産院で出産すると、父の気持ちを書かないといけないらしい。

学会等もあり遅くなったが、気持ちを忘れないうちに、今日筆を取ることとした。

これをいつ誰が読むか分からないが、読んだ人が当時を思い出す一つのきっかけとなればと思う。

妻の妊娠が分かったのは、すでに妻が10回も20回も1人で妊娠検査薬を使って検査した後だった。どうも妊娠検査薬は妊娠が順調に進むごとに色が濃くなっていくらしく、妻は心配で10回も20回も検査していたらしい。

私が妊娠を聞いてもしばらくもぞもぞして答えなかったと記憶しているが聞かなかったらどうしたのだろうか。幸い歩未ちゃんは元気に育ち、日増しに紫の妊娠陽性線は濃くなっており、順に濃くなった3つの検査薬を縦に並べて撮った写真が印象的だった。

 その後のエコー検査では魚みたいな歩未ちゃんが見え、本当に妊娠したんだという嬉しい思いはあったが、そこまで実感もなく、日常生活も何も変わらなかった。しかし、悪阻がひどくなるにつれて妻が家で安静にしている時間も増え、少しずつ生活スタイルも変わっていったが、幸か不幸か世間はコロナ真っ最中のステイホーム推進中であり、外出できない事は全く苦ではなかった。しかし妻はしんどそうで、顔が青いを通り越して白い時もあった。

妻が横になっている間は、私はPCをしたり一緒に寝ていたりしていた。

お腹がすくと悪阻は増強するらしく妻はせんべえをよくつまんでいた。

 私は出産に関しては(も?)楽観的で、問題なく歩未ちゃんが産まれると思っていたし、何かあったら仕方ないとも思っていたが、それは男だからで、歩未ちゃんが常に自分に体に一緒にいるわけではないからかもしれない。

横になった妻はいつもお腹に手をあて、歩未ちゃんと交信していた。上を向きぼーっとただお腹に手をあてているだけの姿であるが、私はそれを見るのが好きだった。本当にぼーっとしているのだが、妻が大切に一つの命を育んでいこうとしている事が伝わってきて、そういう時はぐっとくるものがあった。

 妻のその真剣な願いもあってか、歩未ちゃんは魚からヒトへと成長していった。9週くらい頭・胴・手足のヒトの形になっていたのはびっくりした。大阪の超音波が上手な先生にエコーをあててもらいに行った。3Dエコーで見る歩未ちゃんの顔は妻にも私にも似ているように見えた。手足を動かしたりしゃっくりをしたり、元気な姿を見せてくれる歩未ちゃんに私達は幸せをもらっていた。

 ところで歩未ちゃんという名前はいつ決まったのか。私も正確に記憶に無いが、妻が私の名前である“なおふみ”の“ふみ”が良いと言い出した。最初は本気にしていなかったが、お腹の中の歩未ちゃんをふみちゃんふみちゃんと言ううちに、ふみちゃん以外は考えられなくなっていた。漢字は、意味や字画なども考慮し、歩未、にした。吉田歩未、未沙、尚史、全員合計24字で大吉である。

 そして2021年2月26日(金曜日)、出産日を迎えるわけである。歩未ちゃんの出産が近づいてきている事は感じていたが、その週はどうしても外せない仕事などがあり、26日しか立ち会えなかった。それを知ってか知らずか、歩未ちゃんは26日に産まれてきてくれたのである。出産は当然初めてで右も左も分からなかった。連絡をもらって心友助産院に着いたときに奥から赤ちゃんの泣き声が聞こえて、間に合わなかったのかと思ったが、他の子だったと分かってほっとした。陣痛の痛みを逃すにはお尻を押すといいらしいなど教科書に載っているわけでもなく、ただ妻のお母さんはじめ、助産師さんの言われるままだった。

 いきむ時に妻の頭側に座って頭を支えるのだが、その時の椅子は秀逸で、足が全く痺れなかった。産まれるまで相当な痛みなどあったと思うが、妻はやりきってくれた。普段ふにゃふにゃしている妻だが、こんなふにゃふにゃして泣いてばかりの妻が、産婦人科の緊急カイザーなんかちゃんとできているのだろうか、と思っていたが、それをみてまぁ大丈夫なんだなと思い、誇らしくもなった。

産まれる瞬間は涙が自然と溢れてきた。歩未ちゃんを真に実感し、親としての責務・覚悟も決めたのもこの時だった。

 妻は出産後もとにかく丁寧に歩未ちゃんに接してくれている。私なんかせかせかしているので、ちゃちゃっとおむつ交換したらええやん、ミルクあげてさっさと寝たらええんやん、と思ってしまうのだが、『ちょっと待ってね歩未ちゃん〜』『大丈夫だよ歩未ちゃん〜』『よしよーし』と泣いている歩未ちゃんを1回抱き抱えてあやしてからおむつを交換したりしている。歩未ちゃん、あなたのお母さんはこんなにも手塩にかけてあなたを育てているんですよ。これだけは覚えておいてくださいね。

 出産のお祝いもいっぱいもらっていて、妻の人柄なんだと思って嬉しかった。

 なんとなく私の記憶にもとどめておきたい事は書いたのでこれで終わりとしたい。